1981年、漫才ブームの真っただ中にいた「紳助・竜介」(島田紳介&松本竜介)を主演に迎えて製作された本作。万博開催(1970年)を3年後に控えた大阪を舞台に、ケンカに明け暮れる不良たちの姿を鮮烈に描く。それまでピンク映画を手掛けていた井筒監督の名を世に知らしめた。
映画のことを昔ながらの言い回しで“写真(=活動写真)”と呼ぶ井筒監督。30年以上前に公開された本作について「裸体をさらすかのような写真で恥ずかしい限り」と照れくさそうに語る。当時の大阪の風情が色濃く映し出されているが監督自身、大阪への思いを問われると意外にも「高校を出てしばらくミナミで遊んでただけですよ」とそっけない回答。「『道頓堀の猥雑さはいい活気がある』とか『ドブ川の匂いがいい』とかエッセイで書いたりしてますがデタラメ(笑)! 奈良の人間だから、大阪の街の荒涼とした感じを嫌ってた」と本音をぶちまけ、会場は笑いに包まれる。それでも「当時はほかに行くとこがなかった。生活臭、青春臭が染みついている」とも語り、大阪とは切っても切れない様々な思いがあるようだ。
紳助については「たいした話はないよ。死んでしまったし……あ、死んでないか(笑)! でも(芸能界を引退して)死んだも同然。天国で俺を見守ってくれてる(笑)」と互いをよく知るからこその愛情あふれる毒舌でもって評する。当時は漫才ブーム絶頂で「漫才で忙しい時期で、耐えながらやってたと思う。文句を言いつつだったけど、手を抜くようなことはなく一生懸命やってくれた。でも『早く終わりたい』って顔はしてたね(笑)」と懐かしそうに振り返った。ケンカシーンに関しては感情を高ぶらせ「本気でやっていいか?」と監督の元に直談判に来る俳優が続出したそう。紳助が「本気で蹴られまくってるから止めてくれ!」と訴えてきたこともあり、それに井筒は「わかった」と応じつつ、「もっといったれ!」と相手役の俳優をけしかけたそうで、会場は笑いに包まれた。
本作をはじめ、自身の作品で描かれる暴力について「知恵や知力のない者が暴力に訴える。言葉でコミュニケーションが成り立たない奴らの暴力を描いてきたつもりです」と説明。その上で「もっと巨大な暴力、大人の暴力を撮りたい気持ちはある。沖縄のヤクザやノモンハン事件の映画をやってみたいけど、僕にやらせてくれるメジャーの映画会社はないでしょう……」と嘆いていた。井筒監督の特集上映は3月29日まで開催。
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